とりたてて特別なことも何一つなく、平穏。
平成元年(1989年)は自分が大学を卒業して教員人生を始めた年で、初勤務校は金沢市立三和小学校。10月から半年間の図工専科の先生の育児休業代替の講師だった。週20コマの図工のみの日々は、今思うと担任の先生方に様々配慮不足のご迷惑ばかりかけていたことばかりで、思い返すたび忸怩たる思いだが、それゆえか子どもたちとは毎日楽しく図工を楽しんでいたと思える。
その後は石川県の教員採用試験に合格できず、洒落で受験した新潟県の採用試験に合格していたので、思い切って新潟の正規教員になる決心をして、妙高村(現・妙高市)の関山小に赴任して3年、その後妙高高原町(現・妙高市)の妙高南小に1年勤務した。
このまま新潟人になるのかと思っていたが、やはり石川が恋しい。管理職に事情を話して試験を受け、ありがたいことに合格。
晴れて石川に戻り、美川小に赴任したのが平成6年(1994年)、その年に結婚。
その2年後、石川に帰ってきたことを誰よりも喜んでくれた祖母が亡くなったのが平成8年(1996年)の師走。
長女が生まれたのがその2年後、平成10年(1998年)の奇しくも同じ師走だった。
その後の10年あまりは、この途切れ途切れの日記に断片的に記憶を記録してきた通りで、あっと言う間の20年が過ぎた。
その平成も終わろうとしていることに、特別な感慨があるわけではないのだけれど…、時の流れはこれからますます速くなるんだろうな。