日々是情報教育?日記

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2018年06月11日 月曜日 [長年日記]

_ 内田百閒「阿房列車」の魅力にはまる

久しぶりに明るいうちに帰宅できて、ゆったりした宵の口を過ごしている。長期放置中のブログだけど、今日はなにか無性に書きたくなった。といってもなんにもネタらしいネタはない。しかたがないので、超個人的な文章を書いてみる。読む人も絶えて少ない個人サイトの上だから、だれに咎められることでもない。まぁいいだろう。

内田百閒の「阿房列車」の三冊、一番の愛読書だ。高校時代に宮脇俊三から入った鉄道紀行文学志向は、彼が師と仰ぐ内田百閒の「阿房列車」讃にすぐには反応できなかった。大学を出て新潟で始めた教員生活、一人暮らしの休日の徒然に書店で見かけた文庫をなにげなく買って帰り、たちまち引き込まれることになった。

百間氏の文章の巧みさは今更自分ごときが語るべきものでもない。鉄道趣味関係の文章というと、自分のようなマニア気質の素人が書くと本当にどうしようもない。饒舌で情報過多、冗長で独りよがり、上品さのかけらもない嫌味な文章になることが多い。その対極にあるのが内田百閒氏の「阿房列車」だ。何度読み返しても、淡々と濁りなく、くだらないけれど上品極まる、そうかといって難解なものでもない、凄い文章だ。名文家の文章とは凄いものだとしみじみ思う。

そんな名文を夜更けにつらつら読んでいると、自分の鉄道好きはどこから来たのだろうと考えることがよくある。それは物心ついた頃に遡る気がする。

_ 超個人的鉄道懐古の段

父親の転勤で1歳から7歳の夏(小1の夏休み前)まで横浜に住んでいた。その頃、一度か二度ほど、父親に連れられて---おそらく出張のついでだったのだろうけど---二人列車で祖母が住む石川の実家に帰った覚えがある。

一番古い記憶は、まだ幼稚園に入ったばかりの頃だと思う。冬か初春の夕暮れ、混雑する国電に乗せられ大きな駅に連れていかれた。そこで静かに停車している青くて長い列車に乗ったことを思い出す。今思うと上野駅だったのだろう。

列車に乗り込むと、進行方向に平行に並んだ大きな寝台車両だった。その上段に登り、ふかふかしたベッドに驚き、そして脇についた楕円形の小窓のシェードを開け、わくわくしてホームを眺めたことを覚えている。初めての夜行列車体験だったわけだ。

翌朝には雪の降るホーム(金沢駅か)に降り立った覚えがあるから、おそらくは上越線か信越線周りの客車急行「越前」か「能登」号、あるいは寝台特急になる前の「北陸」号のA寝台に乗ったのだろうと思う。

その時はただ非日常の体験が嬉しくてしかたがなかっただけだったが、それを今でも覚えているところをみると、今に続く鉄道志向は、このとき幼心に刻みつけられたものに違いない。

次の記憶は、雪の朝の松任駅のホーム。祖母が見送ってくれている風景だ。婆ちゃんっ子だった自分は、横浜に帰らなくてはならないのがひどくさみしかった。泣きこそしなかったけれど、ホームの向こうに立つ祖母の姿がとても小さく見えたなぁ。

それと同じ時だったのかはすでに記憶が定かでないのだけれど、帰りの特急電車の食堂車で昼食をとったこと、大きな窓からは大カーブを曲がる長い列車の姿が見えたこと、周りは晴れた緑の山中だったこと(どうも同じ冬の記憶ではない気がしてならないのだけど…信越線か上越線を走る特急「白山」や「はくたか」に乗ったのかな…)も切れ切れながら忘れられない記憶だ。

こう書いてくると、当時の父親からして相当の鉄道好きだったのだと思う。本人は今に至るもそうだとは言わない。けれど、幼稚園児の息子をわざわざ出張の連れにして汽車旅(しかも夜行列車で)に連れて行ったりするはずがない。単に祖母に孫を見せるだけの目的ではなかったはずだ。

そして、同じ頃と思うけれど、まだろくに扱えるはずもないHOゲージの高価な鉄道模型を、休日のデパートで「買ってくれた」こともある。若かった当時の父親にはそれ相応の出費だったに違いないし、休日はいっしょに長時間お座敷レイアウトを「父親が」楽しんでいたし。

三つ子の魂百まで。おかげで彼の息子は、五十を過ぎた今もこんな超個人的鉄道ノスタルジーを書きなぐる次第となってしまった。

もはやあの頃の懐かしい鉄道の風景はほとんど残っていない。そして間もなく、北陸新幹線と交代するように「北陸本線」もその名を消す。月並みだけれど、時の過ぎるのはあまりにも早いなぁ。あの頃のような鉄道旅行が今一度再現できるならどんなにか…、叶わぬ夢に過ぎないのだけれど。