大晦日,仕事もすべて終わっているのでのんびり過ごす。PCのバックアップ作業。デスクトップとノートのHDDイメージをDVDに書き出す。
昼は年越し蕎麦がわりの家族でラーメンクエストII,開店直後の「一鶴」へ。熟成黒味噌&豚骨味噌&餃子を三人で分けて食べる。ラーメン三昧だった今年だったかも。
帰宅してPC関連の整理整頓。自宅サーバもそろそろハードディスクが壊れても不思議ではない頃合,交換を考えている。ついでにRedhat8.0からFedoraCore3あたりに更新すべきなのだろうなあ。冬休み中にやってしまおうか…など思案。
明確な数値目標を立てる時期を逸してしまった今年,なんとなくピンぼけになってしまった気がする。それが最大の×。数値目標をきちんと掲げることの大切さ,改めて思う。不十分ながら今年の自己評価。
・実践研究関連。ITCe的な立場からの3本のこれまでの論文から踏み出して,今年初めて「授業実践」論文が書けた。日々の中で流されずに仕掛けとデータ取りをすること,その難しさを痛感。今年の自分の指向の変化という意味でチャレンジとしては○,成果は様々な意味でツッコミ不足や浅さが露呈したので△。来年度のネタもまだ定まっていないし,ITCe的にいくのか,授業実践でいくのか決まらないまま年を越す。実践研究において自分の持ち味ってのはなんなのかという問いを持ち越すということなんだろうと思う。堀田先生のUnagi合宿にお呼びがかかるだけのものを自分が持てるかどうかが来年の最優先課題だ。めざす軸がなくては学びなどあり得ないというのが今の自分の力量だ。
・発信。日記が停滞したのが今年の自分を象徴している。若干の迷い・トラブルは誰にでもあること,それに対する用意や力量が不足していたということだ。大反省で×。
・自己研修。積極的に外に出る,アンテナを高く保とうという努力は△。いろんな理由はあったけれど,結果として外で「学ぶ」という機会はここ3年で一番少なかった。言い訳無用,なにを考えたかよりも,なにをしたかが大切だ。これまた来年度の課題。
・校内の活動。前半,ワークショップやメディア利用の新しい形を取り入れた校内研修をいくつか仕掛けて受け入れられ,それなりの成果を上げられたのは○。学年の取り組みは昨年度ほどのパワーを出せず×。
・地域内の活動。Uchiwa仲間との夏のデジコン研修会も事務局として頑張ったつもりだし,Uchiwaコアのみんなでねらったことがほぼ達成できたのも○。来年度につながるエッセンスをどう取り出すかが来年度の課題になりそう。そういえば,センター研修の講師や論文・ポスター発表依頼が妙に増えたのも今年の特徴だった。
・読書。買う量はこれまでで最大,読んだ量は例年並み…なので△。目的のないInputは意味がない,量よりも成果とどれだけ結びつく読書をしているかどうかだよなあ…。
…
終日のんびり読書。嫁さんが紅白見てる横で,勤務校のWeb正月用のコンテンツをちょこまか作ってみたり,デザインを変える準備をしたり。
今年もみなさんお世話になりました。2008年もどうぞよろしく。
1月
前年秋から1月中旬まで「お勉強」の変な緊張感。初旬の大雪に驚かされた。が…そんなもんでは済まされなかったのがこの冬…
2月
前月を上回る記録的な大雪。地獄の2週間だった。
3月
ようやく春の気配。別れの春になった。4年勤めた松陽小は去り難かった。少人数算数と教務主任の日々は、今思うと子どもたちと授業が楽しくできる至福の日々だったのだなと思う。でも、いろいろと潮時だったのだろう。
4月
河内小に教頭として着任。慣れない仕事、雑務の集積に翻弄される日々。主義として「しない」と決めていた休日勤務も、数日せざるを得ない状況で、そのことが精神的に辛かった。上司である校長や前任の教頭先生、職場の先生方に助けてもらった日々。
5月
中旬に校内の年度初め業務が一段落した。同じく中旬にあった初任教頭研修では、同じ立場の皆さんの奮闘を聞けて安心したり励まされたり。気候も安定して、手取川扇状地の扇頂にある勤務校周辺の自然の美しさを楽しむ気持ちも出てきた。昨年度から復帰した単車での通勤が増えたのはこの頃から。
6月
1学期の仕事のヤマをいつの間にか越えていた感じ。少し余裕が出てきて、残業時間も少しずつ減らすことができるように。
7月
1学期が終わった開放感。夏季休業開始で溜まっていた仕事が片付くに連れて、新しいことをする気持ちが出てきた。
8月
ICTサポータさんと協力して学校のサイトをリニューアルしてCMSを導入できた。10月頃までは初期の立ち上げとして毎日更新を継続できた。
9月
運動会など秋の行事が次々。教頭としてはバス手配など渉外の業務に落ちがないように気を遣う…のだけれど、時々「ややっ!」と冷や汗も。
10月
校内行事、PTA行事、地域行事、学校訪問、指定事業、調べ学習コンクールの表彰式プレゼンター、某監査(晴天の霹靂!)とがまとめてやってきた!胸突き八丁の日々。しんどかった…
11月
初旬に10月からの秋の怒涛の業務ラッシュが終わる。ぽっかり気持ちに穴が空いた感じ。月の残業が初めて80時間を切った。
12月
楽しみにしていた「調べる学習コンクール・全国3次審査会」の審査員として4年ぶりの東京へ3泊。審査も興味深かったし、プライベートタイムに訪れた神田古書店街・秋葉原電気街等々はさらに楽しかった。3日間のホテルぐらしで、いろいろ来し方行く末を考えたり。
というわけで、2018年は年明けから記憶に残るイベント続きの日々だったように思います。来年はもう少し平穏でありますように…
このサイトを気長に見続けてくださっている皆様、どうぞ良いお年を。
今年も本当にあっという間。人生にときめきがないと時間が流れるのが速いのだそうだ。ときめきがないというよりも、様々な小さなトラブルをなんとか切り抜けようと日々なんとか遣り繰りしているうちに時間は容赦なく流れていくというのが自分の今なんだろうと思う。それでもなんとか仕事も1年を乗り切って、家族もなんとか平和な年の暮れを迎えることができた。身の丈にあった十分幸せな日々と思う。周囲の人達に有形無形に支えられてこそだけれど、その義理にちゃんと応えられているのか…やはり忸怩たる思いに駆られるなぁ。伏してお詫びしつつの年の暮れだ。
娘のクルマを中古で買い、正月開け早々に埼玉に出かけ、下道半分高速半分で帰ってきたのが楽しい思い出。その前月に調べる学習コンクール全国大会で東京に3泊してまもなくだった。なんだか楽し遠出が続いて浮かれていたかも。
職場は相変わらず平和ながら小さな仕事が錯綜。プログラミング教育の5年生授業を担当させてもらって校内でスタートアップが切れたのがトピック。先は長いけれど。
昨年と打って変わっての暖冬。職場は山麓にあるので積雪に気をもみながらの毎日だったが、今年の冬は積雪らしい積雪もなく安堵。
中旬に学校安全の全国大会に県から派遣されての県外出張。それにひっかけての奈良行きも楽しかった。が、下旬からはとある出来事に心揺れる中、容赦なく日常は進んでいくことにある意味呆然。それでも体は勝手に動くという感。強くあらねばと肝に銘ずる日々。
教頭職に就いて初めての年度末。職場的にも様々な課題が降り掛かってきてそれを何とかソフトランディングに持っていこうと上司・同僚とタッグを組んで頑張った日々。それだけに離任式・送別会は寂しかった。
2年めの春。河内の春の風景に、日常の多忙を癒やされる。新しい同僚も入り、気持ち新たに日々を過ごす。そして仕事の段取りが見えるということは、こんなにも違うものか!
5月に指導主事訪問があるために、その準備に忙殺されて残業は110時間を超えたが、昨年ほどの仕事に「小突き回される」感じはなくなった。それでも追いつかなくて、職場や地域の皆さんに迷惑かけてしまうこともあり…すみません。忙しいからこそ心乱れる暇もない日々が続いた。
この職で2度目の指導主事訪問を上旬に終えてホッとする。春の新年度業務も片付いて下旬からは少し心に余裕もできた。昨年度夏から力を入れてきた勤務校のホームページのアクセス数が春から爆発的に伸びて、驚いた。こちらも事あるごとに広報して認知が進んだこともあるだろうけれど、25軒の保護者世帯に対し、この春は100端末/日以上のアクセス数が続いた。最高で260端末/日を数えた日もあり、家族ぐるみで毎日アクセスしてくださっているらしいことが伝わってきてとても嬉しかった。やっぱりそれでなくては、学校広報にならんものなぁ。
ガクッと残業時間が減った。両月とも70時間を割り込んだ。なんだか思い出すことが少ない。これこそ、ときめきのない日々?
白山市の調べ学習関連の仕事が楽しかった。冬のはじめにある全国審査に今年も行かせてもらえることが決まってとても嬉しかった。
職場では行事や取り組みが切れ間なく続く秋の書き入れ時。それでも去年に比べると余裕。東京出張を楽しみに日々を刻んでいった感じ。
月初めに3泊の東京行き。調べる学習全国コンクールの3時予備審査員として出張。今年も小川町のホテルに投宿し、審査の合間に神田古書店街と秋葉原電気街を行ったり来たり。アキバはすっかり電気街ではなくなってしまったけれど、毎日がお祭りのような東京の華やかさは変わらないと思った。
_ さて、来年はどんな年になるんだろう?1年後の今頃はどこで何してるんだろうか?変わらぬ日常が続くこと、家族が元気であること、同僚とともに「一隅を照らす」ような仕事をこつこつやっていくこと…が達成できれば言うことはなにもない。
_ 今年もこのサイトを見てくださった方々、どうぞ良いお年をお迎えください。
年に数回しか書かなくなった当ブログだけれど、一応今年の振り返りを備忘録として残しておこうと思う。それにしても…の一年だった。
平穏な年明け。雪がまったく降らない暖冬になった。山あいにある現勤務校での2回めの冬は異例の冬となった。記録的少雪で毎週末のスキー授業もできず。平穏無事と思っていた矢先、中旬に義母が倒れそのまま不帰の人に。あまりに突然のことに茫然。
中国からの新型ウィルスのニュースが入り始めた。しかし対岸の火事の如しで、さして気にすることもなかったのだけれど、後にこんなことになるとは夢にも思わなかった。
2月中旬に勤務校の有志が市の音楽会に合唱隊として参加したが、そこで懐かしい前勤務校の教え子たちと再会できた。少人数算数教室で楽しく授業をした3年生たちも既に5年生。しかし、変わらず人懐こく再会を大喜びしてくれた。こちらも何だか胸がいっぱいになる。授業・余談・補充学習と担任団と一致団結して手塩にかけた子どもたちが1年で見違えるほど力がついた学年だったし、教諭時代の最後の「教え子」でもあったので、前任校を去り難いと感じさせられた可愛い子どもたち。合唱が終わって手を振って別れた。もう会えないだろうけれど、元気に楽しくやっていってくれたらと思った。
そして迎えた2月末、恐らくは教師人生で二度とはない春が始まった。
緊急事態宣言、突然の「本日を持って3学期は修了。明日より当面臨時休校」と聞いたのは、2月末の校長会を終えた校長さんからの電話だった。卒業式は来賓・在校生は参加できず。式自体は少人数の学校らしくほのぼのと暖かな雰囲気で行えたけれど…、まさか事態が続くとはこのときは思ってもいなかった。
2月末に次期の愛車選びをしていて3月初旬に決断。ヤフーオークションで三重県の方から個人売買でWR250Xを入手。名義変更手続きを自分でして、三重まで引き取り。久しぶりのヤマハ車オーナーへの復帰は本当に嬉しかったし、WRの走りの軽快さとカッコよさに思わず目尻が下がった。奈良に一泊するミニツーリング日程を組み、自走(帰途の敦賀からは雪に降られて死ぬ程寒い思いをした…)で帰ってきた。1年ぶりの大好きな奈良は春まだ浅し。でもやはり心和む土地だった。帰路の京都・滋賀を含め、もっとゆっくりしたかったけれど、それはこの春の再来を期して…と考えていた。ゴールデンウィークあたりには、またツーリングでゆっくり訪問して、春の大和路を堪能しようと。
しかし、それもやはり叶わぬ事態となってしまった。年度末、教頭会の事務幹事が回ってきてバタバタしているうちに、志村けんの逝去。送別会も例年のような形ではなくなって、同僚との別れの寂しさに浸る間もなく4月がやってきた。
臨時休校措置の延期から始まった春。新しい同僚と新たなスタートという気持ちを挫かせるかのように入学式のみ挙行で休校は続く。野山に美しい春は来た。でも子どもたちのいない学校で、奇妙に静かな勤務の日々が続く。事態は日増しに悪くなる。先が見えない日々。下旬にはついに職員の分散勤務の指示が下りまでになった。
せめて遠隔授業を!という声が世間に渦巻いて、自分にできることを模索し始めた経緯は、前に日記に書いた通りだ。この時はとても実現はできないだろうと思いつつも、小規模校の利点を精一杯利用しなければと知恵を巡らせる日々。
臨時休校措置は5月いっぱいまで再延長された。隔日の職場勤務と自宅勤務の中で、遠隔授業環境の構築を目指して手をつくした。
中旬からはコロナ禍も少しずつ収束の気配も見せるようになって、自宅勤務指示も終わり、下旬からは分散登校日も設定できるようになった。その登校日に遠隔授業システムを試験運用するところまでいったのだけれど、残念ながら…ではなく喜ぶべきことに6月からの授業再開が決まった。
同僚の皆さんが臨時休校による様々なダメージのケアやリカバリーに奮闘する様子に勇気づけられる日々。しかし、懸念していたとある問題が目に見える形で現れるようになってきて、それに悩まされるように。
1学期は8月初旬まで延長、感染予防の手立てを打ちながら、行事が例年のようには行えないストレスを感じながら、それでも子どもたちが元気に大きな問題もなく過ごせる日々に感謝しつつ。前月からの悩みは軽快もなく、むしろ悪化。なんとかそれをリカバリ・フォローしようと奮闘した日々だったように思う。
夏休みは尾頭がスパッと切られて短縮バージョンとは言え、やはりホッと一息つけるのは実に有り難い8月。近場の超ミニツーリングに行ってみたり、書斎を整理してみたり。
神奈川県立近代文学館の「佐藤さとる展」がこの夏に開催される予定とアナウンスがあって、非常に楽しみにしていた。長距離ツーリングで行ってみようと計画していたのだけれど、あっさり1年延期となってしまい、これまた落胆。まぁ、しょうがないよな…
WR250Xのフロントタイヤが摩耗限界を迎えてひどくハンドリングが悪化して困った。これまで乗ってきたオフロード車はタイヤ摩耗でハンドリングが悪化する感じはほぼなかったのだけど、モタードとは言え初のオンロードモデルは何かと感覚が違う。小径ラジアルの自前での交換は自信がなかったが、なんとかチャレンジ成功。そして2学期はあっという間。
書き入れ時の2学期スタート、運動会、学校訪問の諸準備、市の調べ学習コンクール関連の仕事。そして例の件のフォローアップのための仕事。おかげで時間外勤務がグイッと増えた。通勤の行き帰りに乗るWRでのちょいとした寄り道ツーリングが唯一のお楽しみだった日々。正直キツかった。
そんな中だったけれど、娘の就職が決まったのが我が家のビッグニュースで嬉しかった。文句なく目出度い。
初旬に学校訪問を終えたこと、そして懸案だった事案がすっきり解決したことがトピック。一気に気が楽になった。末に恒例となっている市の調べ学習コンクールのプレゼンター業務もつつがなく完了。この仕事も来年で10年目になる。いつまでも自分が担当し続けるのは事業の継続性から見ても問題なので、事務局とこれからのことを検討することにした。
同じく末に変則的ながら「前期」修了として学習も一区切り。
異例続きの今年だったけれど、平常運転に近い日々が初めて過ごせた。クマの出没対応に気を遣わされたのが異例なぐらいか。しかし、寒さとともにコロナ禍の第3波がじわじわとやってきた…。例年この時期に東京で行われる「調べる学習コンクール」の全国審査会への招聘は今年はもちろんなしだった。これはとても残念。まぁ仕方がないのだけれど。
WRのリヤタイヤも夏のフロントタイヤに続き、DIY交換にチャレンジして無事成功。
2学期末は懇談会も成績処理もなく年度末の忙しさも感じられない奇妙な師走だった。平和なのはよいことだけれど、なんだか物足りないねと同僚たちと話し合う。某懸案事項については年越し決定、ふむ…
_ というわけで、とりとめなく1年を振り返ってみた。コロナ禍のことは皆が大変だったわけで、でもその影響で今年の後半は学校のICT環境が驚異的なスピードで大変革された。なんにもできないに近いガチガチの状態から、なんでもやってみなさい!のリッチな環境に変革されたのは本当に驚いた。来年は与えられた素晴らしい環境をどう使っていくかが問われる一年になるのだろうと思う。頑張らないといかんよな。
_ というわけで、数少ない読者の皆様、今年もお世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。
_ Noba-t [きちんと自分の1年をふり返ること大事ですよね。何となくじゃなく、きちんとより具体的に。誉めるべきことは多いに誉め、戒..]
_ masakage [ありがとうございます。見る人が見れば全然甘い自己評価です。m(__)m 評価する以上はそれなりの目算や行動がないとや..]
_ たけちゃん [masakageさんは コーディネータというより 私にとってはカウンセラーみたいです。 また いろいろ教えてください..]
_ サンプラザ [今年も一年お世話になりました。子どもに具体的にふり返れといいながら自分は?と気づかされました。あと1時間のうちになん..]
_ masakage [サンプラザさん有り難う。自分を評価するのって難しいですね。実践すること,継続することはもっと難しい…。来年もいろいろ..]