日々是情報教育?日記

過去の日記
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2004年06月11日 金曜日 Edit

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総合「11歳のハローワーク」に本格的に取り組み始める。オリエンテーションと意識を探る話し合い。社会人としてきっと充実しつつあるだろう25歳の自分の姿を少しでもイメージできてほしいという願い。そのための材料を調べてまとめて伝え合う学習にしたいという全体的な意図だ。ワークシート記入やプラスイメージのモデルとしてのビデオ視聴&感想コメント書き。

国語は説明文読解に入る前の徹底読み練習。一文ずつの自分の朗読に続けての斉読。徐々に句読点以外の区切り・息継ぎのタイミングの取り方などがとれるようになってきている。

6限フル授業無事終了,学年打ち合わせ,学級事務。17時,さくっと退庁していったん帰宅。例会嫁さんに送ってもらって18時過ぎ片町。時間があるのでしばし散策,19時より「八兆屋」にてサークルの例会&飲み会。

すでに中條さん・中野さん@東明小がフライング(?)負けじとオーダーしつつ。今年度は昨年度の学年相棒の泉さん@戸板小が加入,渡辺さん@東明小,西田さん@長田町小も参集してにぎやかに今年度方針の相談など。工学会の交流発表会,支部担当の段取りや発表枠決定など中條さんがびしりと仕切りつつ和やかに話が進む。一通りの話が済んだ後は,東明小の研究発表会(12月3日)の話題や,各メンバーの校内研究,個人研究の話題…等々諸々の話題はつきない。気づけば23時半まで延々話し込んでいた。お開きで泉さんとタクシーに乗り込む。24時過ぎ帰宅。

未明にアクセスカウンタが累計40000を突破。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ mipo [楽しかったね 新メンバー泉さんの話を聞けてよかったね 今年度のuchiwaの計画も決まったし 豪遊できたし・・・・]

_ masakage [今年度の発足会,充実してましたね。(^^) 昨年度の相棒,泉さん加入が何より私的にはトピックでした。]


2006年06月11日 日曜日 Edit

_ 趣味に走りつつ考える…

ひさしぶりのなにも予定のない休日,趣味に走る。自転車のブレーキ調整&新規パーツの発注,サーバのモジュールアップデートと若干のメンテ,IE7.0β2を入れてしまってぐちゃぐちゃになったブラウザ周りの修復,読書…。少しは仕事をと,昨年度は取り組まなかった(汗)キーボー島の登録準備などなど。

組合仕事も金・土とフルに2日カンヅメだった県大会が終わって一段落。これからは自分の実践に向けて舵を切りたいところだけれど,ナマケモノの自分のことだから,見込みは定かではない…

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 歌雨 [キーボー島って、何ですか]

_ masakage [こちらのサイトになります。 http://kb-kentei.net/]


2007年06月11日 月曜日 Edit

_ 実践見通しは…

自分の取り組みが相変わらずのスロースターターで遅々としていることは自覚しているが,それでも少しずつ取り組み始めていることをメモ代わりにしておこうと思う。ちゃんとアウトプットしてリハビリしないと戦線復帰は遠い。

●日記書きで文章量をこなすことへの慣れをつけること。漢字をきちんと使うこと,段落の意識など徐々に浸透中だが,格差は相変わらず大きい。担任とのコミュニケーション・学級ポリシーの浸透としては効果大だけれど。

●小グループ活動を日常的に教科授業に組み込み始めた。まだバズセッションの初期段階。仕切,記録,評価など役割分担をきびきび回せるだけの経験値をつけていくまで,まだまだ遠い。

●付箋紙を使わせ始めた。一枚に一事でサクサク書いていくことがまだ浸透しきらず。それでも量を書くことに喜びを感じては来ている段階。

●ワークショップ形式の付箋紙整理セッションを先週末始めて体験させてみた。類似情報を分類し小見出しをつけることは何とかできる段階にあるが,そこから総合的に「なにが言えるか(考察)」は求めてもまだ反応は薄い。

●ローマ字入力はまだ3合目あたり。ミニテストと個別アドバイスでホームポジションの意識は浸透してきているが,最低限のリテラシーレベル(キーボー島なら24級突破レベル)を保証するにはまだかなり経験値が不足。時間が限られる中で,どうやって練習意識を高めるか…

●学級を離れて,校内情報リーダ的,ITCe的な研究ネタは構想のみで実質的進捗はなかなか。校務支援としての校務用ファイルサーバの利用状況とポリシー策定の実態・プロセスの調査をしようと考えている。校務用PC配付が一定のレベルで達成されているK市をサンプリングしてみたいと考えているところ。利用実態のレベルと管理者・管理職の意識のリンケージがあるのは当然といえば当然だろうけれど,それをデータで示せればいいな…と。夏休みにデータ収集,そのためのアンケート項目を確定させていかないと…。高橋先生@富山の「情報主務者の職務」リストアップ論文も読まないと…課題山積。


2018年06月11日 月曜日 Edit

_ 内田百閒「阿房列車」の魅力にはまる

久しぶりに明るいうちに帰宅できて、ゆったりした宵の口を過ごしている。長期放置中のブログだけど、今日はなにか無性に書きたくなった。といってもなんにもネタらしいネタはない。しかたがないので、超個人的な文章を書いてみる。読む人も絶えて少ない個人サイトの上だから、だれに咎められることでもない。まぁいいだろう。

内田百閒の「阿房列車」の三冊、一番の愛読書だ。高校時代に宮脇俊三から入った鉄道紀行文学志向は、彼が師と仰ぐ内田百閒の「阿房列車」讃にすぐには反応できなかった。大学を出て新潟で始めた教員生活、一人暮らしの休日の徒然に書店で見かけた文庫をなにげなく買って帰り、たちまち引き込まれることになった。

百間氏の文章の巧みさは今更自分ごときが語るべきものでもない。鉄道趣味関係の文章というと、自分のようなマニア気質の素人が書くと本当にどうしようもない。饒舌で情報過多、冗長で独りよがり、上品さのかけらもない嫌味な文章になることが多い。その対極にあるのが内田百閒氏の「阿房列車」だ。何度読み返しても、淡々と濁りなく、くだらないけれど上品極まる、そうかといって難解なものでもない、凄い文章だ。名文家の文章とは凄いものだとしみじみ思う。

そんな名文を夜更けにつらつら読んでいると、自分の鉄道好きはどこから来たのだろうと考えることがよくある。それは物心ついた頃に遡る気がする。

_ 超個人的鉄道懐古の段

父親の転勤で1歳から7歳の夏(小1の夏休み前)まで横浜に住んでいた。その頃、一度か二度ほど、父親に連れられて---おそらく出張のついでだったのだろうけど---二人列車で祖母が住む石川の実家に帰った覚えがある。

一番古い記憶は、まだ幼稚園に入ったばかりの頃だと思う。冬か初春の夕暮れ、混雑する国電に乗せられ大きな駅に連れていかれた。そこで静かに停車している青くて長い列車に乗ったことを思い出す。今思うと上野駅だったのだろう。

列車に乗り込むと、進行方向に平行に並んだ大きな寝台車両だった。その上段に登り、ふかふかしたベッドに驚き、そして脇についた楕円形の小窓のシェードを開け、わくわくしてホームを眺めたことを覚えている。初めての夜行列車体験だったわけだ。

翌朝には雪の降るホーム(金沢駅か)に降り立った覚えがあるから、おそらくは上越線か信越線周りの客車急行「越前」か「能登」号、あるいは寝台特急になる前の「北陸」号のA寝台に乗ったのだろうと思う。

その時はただ非日常の体験が嬉しくてしかたがなかっただけだったが、それを今でも覚えているところをみると、今に続く鉄道志向は、このとき幼心に刻みつけられたものに違いない。

次の記憶は、雪の朝の松任駅のホーム。祖母が見送ってくれている風景だ。婆ちゃんっ子だった自分は、横浜に帰らなくてはならないのがひどくさみしかった。泣きこそしなかったけれど、ホームの向こうに立つ祖母の姿がとても小さく見えたなぁ。

それと同じ時だったのかはすでに記憶が定かでないのだけれど、帰りの特急電車の食堂車で昼食をとったこと、大きな窓からは大カーブを曲がる長い列車の姿が見えたこと、周りは晴れた緑の山中だったこと(どうも同じ冬の記憶ではない気がしてならないのだけど…信越線か上越線を走る特急「白山」や「はくたか」に乗ったのかな…)も切れ切れながら忘れられない記憶だ。

こう書いてくると、当時の父親からして相当の鉄道好きだったのだと思う。本人は今に至るもそうだとは言わない。けれど、幼稚園児の息子をわざわざ出張の連れにして汽車旅(しかも夜行列車で)に連れて行ったりするはずがない。単に祖母に孫を見せるだけの目的ではなかったはずだ。

そして、同じ頃と思うけれど、まだろくに扱えるはずもないHOゲージの高価な鉄道模型を、休日のデパートで「買ってくれた」こともある。若かった当時の父親にはそれ相応の出費だったに違いないし、休日はいっしょに長時間お座敷レイアウトを「父親が」楽しんでいたし。

三つ子の魂百まで。おかげで彼の息子は、五十を過ぎた今もこんな超個人的鉄道ノスタルジーを書きなぐる次第となってしまった。

もはやあの頃の懐かしい鉄道の風景はほとんど残っていない。そして間もなく、北陸新幹線と交代するように「北陸本線」もその名を消す。月並みだけれど、時の過ぎるのはあまりにも早いなぁ。あの頃のような鉄道旅行が今一度再現できるならどんなにか…、叶わぬ夢に過ぎないのだけれど。